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July 29, 2007

オシムのエゴに思う「何故」 -敗戦の記憶と共に-

未だに負けを受け入れる事が出来ない。

事実として日本は負けた、アジアチャンピオンではなくなった。それは頭では理解できる。

でも、頭の中に「何故」という言葉がリフレインしてしまう。

何故、変化を嫌う。
何故、安全策ばかりを取ろうとする。
何故、仕掛けない。
何故、撃たない。

全ては結果論かも知れない。

でも、事実は悠然と横たわる。事実から学ばなければならない。

敗戦の記憶と共に、考えていきたい。

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・オシムのエゴに思う「何故」

イビチャ・オシムは聡明な人間であり、優秀な監督である。様々な事を見極め、分析し、計算し、その上で答えが出せる。監督としての資質を充分に備えた人であり、そんな事はこれまでの実績から見ても疑いようのない事だと思う。

しかし、このアジアカップではその聡明さも優秀さも感じられなかった。

何故、疲労の蓄積したスタメンに固執したのか。前回のアジアカップでも苛烈なプレッシャーと気候状況の中でスタメンを固定して戦ったジーコは批判されていたが、オシムはそれ以上のスモールグループで今大会を戦い、そしてその結果、酷使された選手達のパフォーマンスは日を追う事に落ちていった。

頑ななまでに中心選手を替えなかった理由はどこにあるのか。選手への信頼か、エレガントへの陶酔か、表現されたパフォーマンスへの自信か、ブレイクスルーへの期待か、それとも変化への恐れか、はたまた謀略か。はっきりした理由はわからない。ただ、出されたパフォーマンスから見ても、スタメンへの固執は「何故」と思ってしまう。

特に「何故」という思いが沸き上がってしまったのは、個人のクオリティを問われる局面でことごとく敗走を繰り返したシーン。特に決勝トーナメントで見られたシーンだったが、これが煮え切らないゲームとなった理由、いや直接的な敗戦の理由と言っても過言ではない。ただ、このシーンを見て、不思議に思った。ここまで無様に連戦連敗を繰り替えす程、日本の選手達の個の力は低かったのか?そうじゃない。実際、相対的に個の力で多少劣っていたのは事実だとしても(又、オシムはそういう力を持つ選手の起用を嫌った事もある)、何よりも選手達の身体のキレが悪く、相手を上回るような動きの質を見せれなかったという影響があるような気がしてならない。

聡明な人間はミスから学び、繰り返さないモノだ。そして、オシムはまごうことなく聡明な人間。そんな人間が1度ではなく、2度3度と失敗を繰り返す。それはエゴでしかあり得ない。彼の中に何かの確固たる狙いがあるからであったにしても、だ。

*これは憶測に過ぎないけれど、個人的にはこういうメンバーに固執した理由として「選手の変革への期待」だったのではないかと思う。以前はエレガントなプレーヤーが織りなすゆったりとしたリズムを自らの交代策で否定した事もあったが、それでもオシムは今大会彼らを起用し続けた事には、そこはかとない期待があるのではないかと思う。沢山の試合を自らの元でさせる事で俊輔やヤット、憲剛の意識を改革することで自らのフットボールに合うプレーヤーへと変貌させ、クオリティを持つプレーヤーの才覚と自らの標榜する躍動的なフットボールの融合することで、このチームのクオリティを引き上げようとイメージをしていたのかなぁと。実際、現状の対してクオリティを持たない選手達で「表現出来る」というレベルで満足しては上は目指せないということが、オシムがジェフ時代に骨身に染みているだろうしね。

*しかも、周辺事情を考えるとぴたっと嵌る部分もあるんだよね。気候面、コンディション面での考慮もあるとは思うけれど、エレガントなプレーヤーを使うためにこのチームは大きなモノを捨てている。一つは彼の特徴的なロジックの一つである「相対的な守備対応」。阿部勇樹を中心に託す形ではあるが、2バック3バック4バックと、局面に応じて適切な形に変化させて守ろうとしていたのは記憶に新しいところ。しかし、中村憲剛・遠藤保仁・中村俊輔を起用するために、阿部勇樹は一列下がった位置に固定されて、臨機応変な対応は取れなくなった。これは監督として、この柔軟性を捨ててでもこのサッカーを貫く事に価値があると判断した結果。将来的な視点を感じるんだよね。

*ただ、このようなリスクを冒しながら、オシムは他の部分でリスクを避けた、そして選手も避けた。そして、チームは臆病になっていった。それは又次回、ということです。

*結果論であることは理解しているけど、やっぱり書いておく。大会前、様々な状況に対応しうるだけのメンバー構成と書いたのだけど、上記の通りの起用法。もし、そういう事を事前から考えていたのであれば、もっと適性のあるプレーヤーを連れてくるべきだったのかも知れない。中村俊輔や遠藤保仁の代わりとなれるエレガントなプレーヤーである藤本淳吾・二川孝広・野沢拓也、パスサッカーへの順応性と高質な技術を持ち得るストライカーである前田遼一、少々憲剛とタイプは違うけど第3列目からの攻撃構築能力とダイナミズムを付随させる長谷部誠、彼らの存在があれば幅は拡がったのではないか。じゃなきゃ、韓国戦、オーストラリア戦で、相手が疲弊していたにも関わらずより困らせる存在である水野や太田を使わなかった理由が見つからない。

*だからといって、脊髄反射的に解任解任と騒ぐのもどうかとは思うけどね。日本のサッカーにとって『他の国を追随する真似事ではない「日本化」』は、コンペティションに勝つという事と同じぐらい重要なテーマ。そして、現状でもオシムが標榜するスタイルは間違いなく日本化へのアテンプトの中で重責を担ってる。もちろん結果は重要で、軽視するモノでもないけれど、ね。失敗なくして成功はない、とも思っているから。

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とりあえず、続きます。まだ、疑問に思う事がある、監督に対しても、選手達に対しても。それを一つずつ、考えていきたいと思う。敗戦という事実を受け入れながら、ね。答えはない、答えはイビチャ・オシムの中にある。でも、それを考える事が日本人としての、日本サッカーを応援する人の勤めだと思うから。丸投げにはしないし、持ち上げるだけじゃ意味がない。厳しく、見ていかないと。

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ということでこの項続く。レポは試合をもう少し冷静に見れるようになってから(何度見ても、イライライライラしてしまう)、もう少し待ってくださいな。分析もちゃんとしますので。ということでここまで。

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*暑いし、煮え切らないし、すっきりしないなー、もう。とりあえず、練習試合に出かけてきますよ。続きはその後で。

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Comments

初めまして。僕もここでアナタが書いたことと、大体同じ意見を持ってます。
ただ、僕はオシムをクビにしても時期尚早じゃないと思います。いくら、就任1年でも、大大会で、内容が悪く実力以下の結果だったら、カントクが責任を取るのは世界のサッカー界の常識です。実際、韓国、イラン、オージーの監督はそろって解任が発表されてますし。
 僕にはオシムの人柄が、前々カントクのトゥルシエにソックリだと感じます。そしてオシムの目指すサッカーはすでにトゥルシエ時代に確立されたもので、それに限界があることが、韓日Wカップの敗戦ですでに明らかにされてると思います。
 僕は最近、このアジア・カップのオシムについて、過去の2カントクと較べながら長いブログを書きました。おヒマなら、ちょっとのぞいてやって下さい。TB貼らしてもらいます。

Posted by: ユマケン | July 29, 2007 at 09:30 PM

ユマケンさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

>僕はオシムをクビにしても時期尚早じゃないと思います。

アジアカップは日本にとっては大きなコンペティションであり重要性は低くない事を考えても、結果や勝負の過程を見ると、その判断も常識を逸脱するモノではないと思います。

ただ、僕が彼が監督である事の意義も又軽視するべきではないと考えています。

現状では彼の理念や見ている将来をピッチで表現し切れていないのが現状でしょう。

しかし、日本サッカーの日本化というテーマは、今後より高みに登るためには避けて通れない道であると思っています。そしてオシムのロジックや見ている視点は日本サッカーにとってその一端を担うアテンプトであるのではないかと。

>トルシエとオシム

トルシエとオシムを同じにするのは同意出来ないかも……。

想定するパターンをトラブルシューティングし、個人能力の差を埋める事含めて全てをロジックで対応しようとしたトルシエは、非常に知能的な監督ではありましたが、フットボールの奥深さを考えるとやはり限界があったのは事実でしょう(加えて書けば、非常に情熱的で黎明期の日本にとっては非常にフィットした人材でもありました。僕は恨んでますけどね)

しかし、オシムは選手達の判断力を向上させ、相対的な要素含めてピッチの中で柔軟に選手達に対応する事を求めています。実際、そんなにシステマティックなフットボールに舵を切っている感はなく(逆に少々守備ロジックに関しては危うい印象さえ持ちます。大々的な整備の必要は間違いなくあるでしょう)、選手の素養に関わる部分の方が大きいです。もちろん、彼の理念が与える影響も大きく、それが好影響とは言えない部分もあるのも現状ですが。

とにもかくにも様々な視点から日本サッカーの事が語られるのは素晴らしい事だと感じています。又、色々な考えを聞かせてもらえると嬉しいです。

ではでは。

Posted by: いた | July 30, 2007 at 11:20 PM

 いたさん。長いお返事ありがとうございます。
 
 トゥルシエに対する、評価点は僕も同感です。彼が世界レヴェルのファイティング・スピリットを初めて日本代表にもたらした人物だと思えます。けれど、同時に彼は世界と日本の個人技や体格の差を意識するあまり、選手を自分のシステムに閉じ込めてチームを独裁化させてしまったと言えます。
 僕がその点で、アジア・カップのオシムもそれに近いなぁと思ってることは分かってくださるでしょう。なぜなら、オシムのサッカーも基本的に相手と当たらない高速連係サッカーを目指してるからです。 
 
 日本代表の監督になれば、その戦略が必然的にベースになるのは理解できます。
 けれど、サッカーの感動の源は、個人にかかってます。
 ピッチの選手個人が見せる勇敢なアタック、またはユニークなアイデア。それが観客を最もわかせ、最終的に勝負を分けるポイントにもなると思います。今回のアジア・カップでも、大半の日本ファンの記憶に最も残るのは、あの高原のキックフェイントに違いありません。

 いったい、オシムはそういう個のひらめきを、少なくとも自分の戦略と同等に評価してるのかどうか、そこに疑問があります。今大会の選手起用、采配、ゲーム内容を見る限り、とてもそうは見えません。このまま彼が続ければ、大試合でトゥルシエと同じように選手の力を引き出せず、不完全燃焼な負けを重ねるように思えます。
 しかし、いたさんは、オシムを柔軟な戦略家で選手への信頼にも厚い人だと見てるようで....でも、僕もその意見でアジア・カップ以降も様子を見てもいいかという気にもなりました。
 今回のオシムは、選手起用で失敗したんだとそう思いたいです。実際、彼も会見で今回のメンバーの大半は2度と選ばないみたいな発言をしてたし。僕は、海外で修行中の多くの若手にもっと目を向けるべきだと思えます。
 
 最近、こういうサッカー話が出来る人が回りにいなくて、つい長くなってしまいました。あ、最後にトゥルシエのシステムとオシムのそれの決定的な違いが何か分かりますでしょうか? おヒマがあれば、ちょっとした返事を下さい。では。
 

Posted by: ユマケン | August 01, 2007 at 02:50 AM

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