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June 15, 2005

Even if is a roundabout route,"identity" to feel necessity

さて、コンフェデですね。この大会に向けて、アジアを戦ってきたこのチームが各大陸王者を向こうに回してどこまでやれるのか、個としてどこまで世界の選手達と戦えるのか、果ては世界と戦うためには何が必要なのかと色々と思う部分もありますが、ここのところワールドユースでのオランダvs日本を見たりして色々と思う部分があったのでそれを徒然と(こう言うときは大体まとまらないサイン)テーマは、アイデンティティ(嘘かも)

ジーコジャパンの苦戦の原因は日本のサッカーの未成熟の象徴か。

と言うことで恐ろしいまでの格好いいタイトルになってしまいましたが、これは是非は別にして今までの監督像を覆すような放任主義というか選手の自主性任せのチームマネジメント(というか監督的な働きをしない)でチーム作りを進めてきたジーコのチームは、今の日本のサッカーを表しているのではないかと思いました。国際的プレーヤーとなってまだ10年足らずの日本は、世界にあるお手本を模倣して、少しずつ歩みを進めてきた訳ですが、始めてそのお手本を示してもらえずに素の状態からチームを作っていった訳で、ある意味ジーコは「君たちのやりやすいようにサッカーをしてごらんなさい」と言ってる感じでした。そんなやり方になれていない選手達は、長い時間共にプレーする機会が少ないこともあって、なかなか求める形を見いだせず、右往左往しながら底を彷徨うような形になった。そしてそのまま突入したアジア予選。本番で苦戦して、その刺激を元に覚醒!そして快進撃!といったような漫画のようなシナリオにはならず、よく言われるように茨の道を素足で歩くような厳しい道のりを歩むこととなったのはご存じの通り。力の差があってもそれをチームとして活かせず、直前合流の海外組と国内組の融合といった新しい課題の噴出、そこに付随する起用法の問題、チーム内におけるモチベーションの問題など、沢山の悩みの中で仄暗い底の中で彷徨いながら進んできた形でした。

結局苦戦続きの中で徐々にチームが逞しくなり、またある程度の所で落としどころを見つけようとした時に中田英寿という「イタリア人」(日本人的ではないメンタリティを持つと言う意味)に背中を押される形でチームがようやく意欲的に自分たちの求める形の断片を捉えるようになり、そしてアジアの中での日本の実力通りWCのチケットを得ることが出来た。でもなんでここまで苦戦したのか、まあ結果としては11戦10勝1敗。抜群の成績ですが、1試合1試合を見たらやはり楽な試合はそんなになかった(インド戦(1次予選)と最後の北朝鮮戦ぐらいかな)日本の本来の実力を示せていたとは言いがたい訳ですが、その苦戦の原因はなんなのか。選手に任せるといった放任・自主性に任せたサッカーにあったのではないかと思ってしまう訳です。しかしそれを裏返すと「日本は自分たちのサッカーをまだ見いだせていない」と言うことになるのかなと。それはすなわち裸になった日本のサッカーの本質が思った以上に未成熟だったということを改めて思わされた部分でもありました。

自らが築く自分たちの国のサッカー。

もちろんプロ化して10数年でそのようなモノを作り上げるのは非常に難しい事であり、未だに築き上げている最中と言うことを考えたら、この手法によるチーム作りは時期尚早だったのと個人的には感じています。しかし、こういう形も結果的には良かったのかなと思う部分もあります(というより必要だったのではないかと思う)もちろんモダンフットボールの流れの中で、フィリップ・トルシエ監督が率いていた時から考えれば停滞、いや後退しているでしょうし、せっかく追いかけてきた努力を無に帰してしまう危険性のあるモノだったと思う。ただ、その犠牲を払っても今回のアテンプトはもしかしたら価値のあるモノになるのかも知れないと言うことです。まあサッカーに正解はないし、無駄なモノもないと思っているので(まあ普通に言えば全てに置いて言い切れないと言う方が正しいかも知れない)、それはそれで良いと言う部分もある訳ですが、一番の価値は日本が独自の道を自分たちの足で探し始めたこと、そしてそれを考えるきっかけになったことではないかなと。

もちろん口で言うほど簡単な物ではないし、3年経った今でも尚まだまだ不安定で、もちろん完成型が見えてきた訳でもない事を考えたら、本当に難しいモノだと思います。ですが、それは自分たちの適正や実力を見つめ、自分たちで考え、そして自分たちの手で作ると言う(監督の意味がないけど、それをやらせるだけの懐の深さと覚悟をジーコが持っているのかも知れない。ある意味やらせてやって後は俺が責任を取るというまさしく”父親”の存在なのかも)今まで手の付けられていなかった「自らが築く自分達の国のサッカー」の構築の礎となる作業なのではないでしょうか。まあこの4年で終わるかどうかなんてわからないし(まあ終わらないでしょうね、単純に考えて)いつそれがどういう形で表現されるのかは誰にもわかりませんが、そのきっかけとなった今回のアテンプトはそれなりに価値があるモノだったのかなと(まあ協会ならびにジーコがそれを狙っていたとは余り思えない、特に協会にはね)まあ逆に日本代表を応援する者の願いや希望、望むべき姿というのからはかけ離れ、それがチームの思い入れとして浅くなってしまい、乖離現象として出ていることは(自分も含めてなんでしょうけど)あまりに皮肉ですけどね。

成績も大事だし、内容のあるサッカーをすることも先のことを考えたら大事だと思う。はっきり言って以前やっていた事から考えれば回り道だけど、こういう作業を怠って一足飛びの強化をしてきたのも又事実。現在いる位置にふさわしい積み上げというモノがもしかしたら足りなかったのかも知れない(事実、前任者は自分のロジックのためだけのスペシャリストを作ることだけで、幅というかその位置にふさわしい中身を詰めることまでは手が回らなかったのかも知れない。もちろん他にも大きく価値のあるモノを残したし、世界と戦う上での必要なモノを教えてもらったわけですが)それを今埋め合わせているとしたら、それは必要な過程の一つなのではないでしょうか。正直格好悪くてみっともないサッカーをしているときもあったし、これが日本代表だと思うとちょっと幻滅な時もありましたが(まあ既にその時は呆れモードというか見ていて辛い部分もあった)、ロジックという武器を持たない今の姿が、日本の真の実力だとわかる事も大事だと思います。今回そういうモノが掴めれば、今度はその作り上げた土台の上にロジックが乗り、自分たちのサッカーとして消化出来るのかなと。それは以前のように「監督」のものではなく、「日本」のものとして表現出来ると思いますから。

と言うことで以前書いた箱の中身のような話の続きのような感じもありますが、まあそれとは基本的には別というか、特に意識して書いたわけではないです。ただロジックやタスクを前に押し出すのではなく、それを自ら消化し、自分たちのサッカーにしていくことが必要なのではないでしょうか。WYということを書きましたが、WYのオランダ代表はDNAに刷り込まれるように4-3-3と言うシステムを理解し、また使いこなし、またそのロジックは選手を活かすモノだったのが非常に印象的です。特に複雑なモノではないですが、自分達のチームの強みを活かすためのシンプルな攻撃構築であったり、その個の能力をゴールに繋げるための入り方であったりと全てが彼らのモノだった。もちろんそこに必要な個が育つ環境でもあり、だからこその部分もあるのでしょうけどね。まあそのような感じになるためにも、まずは自分たちを理解し、しっかりとそれを捉えるという事が必要なのかなと。まあまだまだ色々と学び、吸収することも必要だと思うので、凝り固まる必要もないですけどね。と言うことで今日はここまでです

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Comments

興味深く読ませていただきました。

「日本人が自分達の道をどうみつけていくか」

そういった問いを日本人が自らに発しないで安易に戦略家を監督として呼ぶのは、「解答放棄」をしているように思います。

確かにジーコのチーム作りは戦術論、システム論が声高に叫ばれている現代サッカーの潮流に反しています。

しかし現代サッカーのその潮流ばかり気にして自分の体が未成熟であることを省みずにそこに飛び込んでいくのは自殺行為なのかもしれません。

簡単には答えが見つからないかもしれませんが、その過程で独自のサッカー文化が出来てくるように思います。

オランダ選手のあの動き、DNAというよりもあれはオランダという国のサッカー文化が育んだような気がしてなりません。

Posted by: ひよっこ | June 15, 2005 at 08:22 PM

ひよっこさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

まあ結果を求められ、プライドを保つための大会でもあった前回大会では、彼のメソッドに頼ることで、世界のサッカーというモノをまだまだ知らなかった日本が結果を残すためには必要な過程だったのかなとは思います。

ただ、その成功例に見せられてそれが続いたら、いつまでたっても監督の当たりはずれで判断することが続き、本質を隠したサッカーを続けてしまうのではないかと思います。今の状態ではヒデの言う通り世界で戦えるレベルにはないのも事実で、まさしく「自殺行為」かも知れません。これから世界と戦った時に、大きな失望が待ってるかも知れません。

しかし、その失望の中でも得るものはあるはずだし、見えてくるモノもあるはず。その過程の中で選手達は様々なことを考え、意見を交換する中で、また少しずつ形を明確にしていけば、進んでいけるのかなと。簡単なことではないし、勝ち慣れていて、モダンサッカーを様々なところで見ている現在のサッカーファンには辛いことですけどね。

オランダに関しては、既に確立されているからこそ、若年層から植え付けられている部分があるからこそ、すぐにフィット出来るし、大きな個が入っても活かし方をチームとして理解出来ているのではないでしょうか。確かにサッカー文化かも、DNAは間違ってたかも・・・・(苦笑)

非常に厚いコメントありがとうございました。また思うところがあったらコメント書いてやって下さいね。ではでは。

Posted by: いた | June 15, 2005 at 09:09 PM

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Tracked on June 15, 2005 at 06:18 PM

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